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千貫森巨石ゾーン

in Fukushima Pref. /Senganmori Megalith Zone


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福島県飯野町にある千貫森は最近つとにピラミッド(日光満殿=ヒラミツト)として 話題になる山です。地元では麓にUFO館を常設し、UFOやピラミッドに関する情報を 広く情報発信しています。

千貫森はピラミッドであることよりはUFOの飛来地として有名です。 ヒラミツト探訪家の私にとってはUFO現象はヒラミツトの副次的産物なので やはり関心は千貫森の山容に向けられてしまいます。

当日、仕事の合宿帰りに、ピラミッドやUFOには全く縁のない同行者2人を 連れていったせいかどうか、いまだに不明ですが、本当に珍しく頂上部分が 雲にすっぽりと包まれていました。

千貫森の脇には当然のように拝殿山と思しき一貫森と呼ばれる、これまた 山容がピラミッドのような美しい山が存在しています。 千貫森ピラミッドは葦嶽山や尖山とはまた違った、なだらかなそれでいて 不思議な存在感のある山なのです。そういえば讃岐富士と言われる 飯野山によく似た山容です。飯野町と飯野山,当然何かの共通項があるのでは。

千貫森の周辺には夥しい巨石群が散在しています。おおよそ20Km四方の中に 興味深い巨石がたくさんありました。飯野町の西方には安達太良山もあります。 一言で言えば、まさにミステリーゾーン。伝説や逸話が多いのも頷けます。

1996泰山記





千貫森の秀麗なる山容。当日はあいにく曇りで全体像が撮影できなかったので、テレホンカードを見ながらから心象をイラストしてみた。上の画像はフィーリング。
峠山、男神(おがみ)山、たんがら山など22種類の別名を持つ。標高462.5m。



拝殿山と考えられる一貫森。この山も美しい。 普段は小峠山と言われる。



千貫森の麓にある町営のUFO館に飾ってあったピラミッド平面図。 拝殿山と本殿山に夥しい巨石群があると記されている。麓には飯野UFOふれあい館がある。



千貫森の麓に鎮座する小手神社の鳥居と拝殿。当然本殿は御神体山だ。



千貫森の頂上。UFOの里に相応しく、その模型がおいてある。





福島駅から東へ4kmのところにある曹洞宗安洞禅院に安置されている文知摺石。
信夫文知摺といって悲恋の物語で名高いが、実は鏡石。 この石の石紋と綾形を摺ってしのぶもちずり絹が京へ献上された。 つまりこの石の表面に魅力的な造形があったということなのだ。



同じ境内にあった夜泣き石。
鳴き石、泣き石という伝説はかなり多く存在する。 形態的には五葉山の畳石、たつ割山の不動石に似ている。 >境内はなだらかな登りになっており、 全体が公園のようにして保護されている。 もう少し上にも何がしかの巨石があるはずだ。



人肌石。触るとほのかに温かいのでそう呼ばれる。
雨に濡れても乾くのが早いとのこと。 セラミックスに近い感触だ。多分叩くと甲高い音がするだろう。 日本各地に金属的な石の存在が知られている。



飯野町大久保字竹ノ花にある通称赤岩。
赤岩稲荷神社の鳥居。 この奥に巨大磐座がある。 鳥居の横にも巨石があり、その上に巨木がしっかりと根を下ろしていた。



赤岩神社前の田圃の中にも巨石があった。
その巨石の上に樹齢何百年かと思われる松の古木が 巨石を抱きかかえるように生えている。 田圃全体がまるで盆栽のようであった。



赤岩稲荷神社の御神体赤岩。
磐座からほとばしる霊気が見事に写真に写し出されている。 昔、東和町の木幡山(こばたやま)からこの大石が飛んできて、 そのとき大岩全体が真っ赤になったという伝説が 赤岩という地名の由来である。



二本松安達ヶ原。いわゆる鬼婆伝説のその鬼婆が住処にした鬼の岩屋である。
「みちのくの安達ヶ原の黒塚に鬼こもれりと、聞くはまことか」 と平兼盛が詠んでいる。 勿論鬼婆の話は近世のことだ。 状況的には鬼の岩屋は巨大ドルメンないしは巨大磐座の崩壊の跡である。



鬼の岩屋は巨石群の塊であるが、そのとなりにも大きな球状の岩がある。



鬼の岩屋の庇状の笠石の丁度裏側。



これが笠石だ。この石はドルメンとして上部に載せられたと思われる。



通称安堵石。
この岩は明らかに割られている。 ジグソーパズルのように頭の中で原形を追って見ると、 そこにはこの岩屋全体が大きな一つの岩塊であったことが、 見えてくる。



甲羅石。
その名の通り亀の甲羅状に不自然に亀裂が走っている。 しかも岩屋の中でこの石の上層部だけにである。 自然の風水による侵食ではなく、何か特殊な破壊力の痕跡ではないだろうか。 葦嶽山の鷹岩にも見られるように、部分的不自然さには要着目だ。

広島県庄原市にある葦嶽山ピラミッド



ここにも夜泣き石がある。
石がある音を発するということは疑いないことだ。 ギゼのピラミッド内部でも時として鼻声のような音が聞こえるそうだ。 静岡県にも有名な泣き石がある。 石もある意味で生命体であるとする学説もある。 石が表情や感情や記憶を、当然持つと考えた方が良いのかもしれない。 私の旅は、石の記憶の探訪記でもある。



これは最近作られた鬼婆の彫像。
「涼しさや、聞けば昔は鬼の塚」と正岡子規が詠んでいる。 鬼の岩屋全体は「あまりいい居心地」の所ではない。 実際に温度とは別種の「寒気」がみなぎっている。 子規はそれを感じたのではないだろうか。 鬼婆伝説は血と情念の物語だが、それを遥かに溯って、 この磐座は位置的に黒と冷気を感じさせる。



京都の公卿屋敷の乳母であった「岩手」が鬼婆と化した。
阿じゃ梨裕慶東光坊の光明から発した白真弓に射殺された鬼婆が、 ここ黒塚に葬られたという。 鬼の岩屋は天台宗真弓山観世寺の境内に護られている。 白真弓如意輪観音がご本尊。


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