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名草巨石群1

in Tochigi Pref. /Nagusa Megalith 1


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群馬県と栃木県の県境付近、足利市の北方には「石尊山」「行道山浄因寺」「大岩山」「岩刻の毘沙門天」「両崖山」など巨石に関係した 地名や名刹が並び、直径10Kmにも及ぶ大きなメガリス(巨石遺構)文化圏を形成しています。その北縁にその名もずばりの 「名草(なぐさ)の巨石群」があります。前橋の親類を訪ねた帰路、以前から行きたいと思っていた「名草」に足を向けました。

と言っても、前橋から国道50号線を東進し、桐生バイパスの原宿南までが40Kmもある行程です。渡良瀬川を越えて葉鹿町の郵便局で 名草に行く道を尋ねると、怪訝な顔で問い返されました。「名草…ですか。」「結構ありますよ。普通のクルマではちょっと厳しいんではないかあ…」。 確かにそうだ。地元の人から見れば普段生活しているところから10Km以上も山奥の名草にクルマでいくなんて…と思うのも無理はありません。 幅員2mもあれば舗装路で有れ砂利道で有れごく当たり前のように山の中にクルマで入る私なのであります。

松田川に沿って約20分北上し県道219号を中井で右に折れればやがて勘定谷戸というところで「←名草巨石群」の小さな看板が見えてきます。 名草巨石群の中心には…やはり、っと言った感じで厳島神社(名草弁天)が臍としてあり、厳島神社の境内を巨石が飾っているという期待にかなった優れものの巨石群が そこにはありました。駐車場を備えた茶店の横から厳島神社の参道が続きますが、最初そうとはしらず、厳島神社の参拝は後にして、 さらに細い山道をクルマで巨石に向かいました。結局は厳島神社の境内をぐるりと裏山から降りてきた格好になりましたが、結果的には 厳島神社奥の院をも確認することができ、鹿島神社の御はからいに感謝することしきりなのでありました。

今回は写真がかなりありますので、2部作にわけ、まず第1作「名草巨石群1」をお届けします。あいもかわらず、私のページはダウンロード に時間がかかりますが、お待ちになるだけのものはご覧頂けると確信します。今回はBGM無しです。どういうわけか名草の巨石群はサウンドの イメージが湧きません。「静謐なる佇まい…」とでも申しましょうか…。

1996泰山記

2010 高精細画像に置換え+補足

2010年のリニューアルで、厳島神社入り口から名草弁財天およびその背後の巨石群を探訪するコースにて紹介します。

名草巨石群2はこちらから



2度目の参拝を終わり一息つこうと、かの茶店でかき氷をほおばっていたときである。 ふと見上げると美しい稜線のピラミッド山があるではないか。 名を尋ねても不明の名も無きこの山ではあるが、ちょうど厳島神社の奥の院の延長線上に このピラミッド山があるのだ。おそらくこの山の頂上には太陽石らしき巨石が絶対にあるはずなのだ。 名草ヒラミツト体系はこれですべてが揃った。 最初から厳島神社の表参道からアプローチをしていたら、きっとお供石の大きさだけに感動し 帰った来たことだろう。奥の院にも行かず、そしてこの山の存在も知らずに…。

名草巨石群入口の茶店付近が頃合いの良い駐車場になっている。そこから見ると正面にピラミッド型の山が聳えているではないか。 この山は方角からすると「名高山」かもしれない。名高山の西南方向には聖山の赤雪山が存在している。これらの山々と名草の巨石群は一体構造のように思える。



環境庁と栃木県による天然記念物「名草の巨石群」の説明書き。花崗岩の巨石群であると明記されている。



表参道にある岩盤。あきらかに堆積岩である。全長1.5Kmの花崗岩塊の風化作用と 花崗岩の柱状摂理という点において、名草の巨石群は天然記念物に指定されている…というのだが。 山全体は堆積岩によるものであって、名草の巨石群一帯にのみ花崗岩が表出しているように思えるのだ。

茶店の脇からダラダラ坂を15分は登る。その脇に出てきている岩塊。



参道脇を花崗岩の巨石が出迎えてくれる。



これに良く似た巨石が五葉山神社入り口に「畳岩」としてある。 巨石遺構の山道中にはこういった平べったい石が良く見かけられる。 ということは、やはり名草巨石群はそれだけの存在ではなく、 典型的な巨石配置;たとえばこの石のような祭壇石、天岩戸、奥の磐座等々を備えた 優れもののヒラミツト体系とみなしうるのだ。



厳島神社表参道沿いに合った「亀の頭(のような)石」 この巨石は裏側から見ると花崗岩ではなく堆積岩であった。

さらに進むと右側にひょっこりと顔を出した”亀石”。これなども巨石参道によく付帯しているもの。



群馬県に「櫃石」という有名な巨石があるがそれに本当に良く似た巨石。 カタチ的には「海亀石」とでも言いたくなるような形態である。

同じく参道右側にある巨石。この石は明らかに花崗岩ではない。



参道途中の岩肌の状況。



同じく。ただし、積層状になった岩石であることに注意。



名草弁財天の第一の鳥居傍の石碑。名草の巨石群は天然記念物指定されている。



厳島神社鳥居付近にある「国指定天然記念物名草の巨石群」の碑。勿論台座は巨石そのものである。 こうした中規模の巨石が厳島神社のある山全体から表出している。



名草の厳島神社には弁財天が祭られている。その案内板。



いまだからこそその全体像が明確に把握できているものの、名草の巨石群を訪れた当日には 一体全体自分がどこからアプローチをしているのかがまったくわからなかった。 第一部で報告したように、神社参道前の茶店の脇を抜けてさらに細い山道へクルマで入っていった私は 結局、山をぐるりと一周して山を下るカタチで、実は奥の院から見ていったのだった。 山の中に忽然と存在する不思議な巨石群ではあると…帰路につきながらもなにか今一つ釈然としないものがあった。 クルマで来た道をぐるり戻り、茶店に戻った私は、あらためて厳島神社へ参拝をして帰ろうと考えた。 大きな鳥居をくぐって比較的急峻な山道を歩くこと10分。「名草の巨石群へ200m」とある。 傾きかけた太陽を気にしながらも引かれるように厳島神社へと足は向かう。 …と、見覚えのある小さな鳥居が見えてきた。むむっ。なんだ今戻ってきたところではないか! なるほど、私は「もう一度参拝してから帰るように呼ばれたのだ…」。ひとつは全体像を見るために。 もうひとつは、いつになく”別件で頭をとられていた私”へのお叱りである。…たしかに!

鳥居を抜けると厳島神社の境内が見えてくる。左の大きな石が御供石。正面が本殿。



名草の巨石群の中の主役のひとつ「弁慶の割石」。鳥居を抜けたすぐのところに、「宝之泉」として囲まれた 小池の中に鎮座している。名草の巨石群は神社参道から鳥居、本社にかけて山を登るように配置されている。 この池は名草巨石群に沿って流れる清流の小川の一環で、「弁慶の割石」部分で瀞のようになっている。 御神体ということで、注連縄が張られ、実質的にこの小池の中は禁足地となっている。 巨石の大きさは結構大きく、幅3m以上高さ2m以上はゆうにある。そして大きな特徴は見事に真っ二つに切り裂かれた 割れ目である。いずれこのことには言及したい思うが、重要な巨石ほど「神力によって割られたような」形跡があるのだ。 茨城県の太刀割り石、柳生石舟斎の一刀石など、未知の力で巨石が割られた痕跡が多く見られる。 また、割られる前の原型をイメージすると、諏訪の万治石の胴体部分の石の形態に非常に似ているように感じられた。



「弁慶の割石」の背面。この写真から、この巨石が三角形ではなく、丸みを帯びたお結び型であることがわかる。 小川の砂地に埋もれているので、もしこの巨石を掘り出して完全な姿を見ることができれば、まったく違う 形態をしているのかもしれない。うっすらと線刻画のようなものも見られた。



名草の巨石群が天然記念物に指定された理由は、その原型たる巨大一枚花崗岩(説明では1.5Kmとか) が山中にあることなのだ。このことについては第2作で言及予定。その花崗岩塊が風化で巨石群を作ったと言われ この弁慶の割石も花崗岩である。…が、その花崗岩の左平坦部分に表皮のような別の(別に見える)岩肌が こびりついている。広島の葦嶽山の鷹岩では溶解されたような表皮痕跡があったが、このような表皮は 花崗岩としては初めて見た。岩石学に詳しい諸兄のお知恵を是非おかりしたいものである。 表皮がもし接着されたものであるとすると技術的な意味合い、そしてこの弁慶の割石の存在の意義がまた 大きくクローズアップされることになりそうだ。



厳島神社本殿横から隣の大岩に神橋が渡されている。 前方に見えるのは、名草巨石群中最大の「御供石(おともいし)」の 頭部に載っている笠石である。



神橋を渡り「御供石」を下方に覗き込むと、そこは天岩戸風の空間となっており、「胎内くぐり」 と称されている。巨石の奥に小さく白く見えているのが、たまたまそこをくぐっていた小さな 女の子の足である。その大きさと高さがわかると思う。



厳島神社本殿横を清流が洗い清めている。圧巻は巨石の真上から清流が滴れ落ち、巨石を 浄化するかのように静かな滝が形成されていることだ。見上げていると、ちょうどそのとき 太陽の光がまぶしく指した。何度も言うことになるが、「う〜む。この瞬間がたまらない!」のである。 今回の名草の巨石めぐりの中では、この写真が最高のものだと思っている。 巨石の高さは少なくとも5mはある。この巨石は本当に生きている…とつくづく思った。



胎内くぐりの底の部分。下には渓流があり、木で組んだ渡り橋がある。



これが名草巨石群中最大かつ最重要な「御供石」の全景だ! とにかくでかい!そして存在感がすざまじい。 この下が「胎内くぐり」になっている。



午後四時の厳島神社には既に人影も無く、せみ時雨の中で、一人あらためて巨石遺構の重みを感じていた。

さて、さて第1作はここまでです。第2作では奥の院及び名草の巨石考に言及する予定です。
請う、ご期待!。泰山。


名草巨石群2はこちらから

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