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熊山遺跡は輝いて

Copyright(C) by Taizan 1996-2010
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『泰山の古代遺跡探訪記』Topページ


泰山の古代遺跡探訪記
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1996年に探訪した古代遺跡の中で、最も感銘深かったもののひとつが熊山遺跡です。 この不思議な遺跡がどこにあるのか、熊山とは一体何なのかを知る人は 日本人と言えども、ほんの一握りの数でしょう。 岡山県熊山町にある神山熊山は、丁度山陽本線と山陽自動車道が交叉するところに あります。

実は日本にも(日本の方が原形かも知れませんが)メキシコにあるような 階段状ピラミッドの形態をした遺跡があるのです。それが熊山遺跡です。 4段に積み上げられた幾何学的構図はまさにピラミッドそのもので、 これは国指定の熊山石積遺構となっています。

私は以前からこの存在を知っていましたが、幸いにも昨年偶然にも 熊山遺跡を訪ねる機会を得ました。探訪して最も心を打たれたことは この熊山遺跡を中心とした熊山の山域全てが今もなお、生き生きとして 霊山の威厳を保っていたことです。

姫路から電車に乗り、車窓の風景を楽しんでいると和気(わけ)のあたりから 山並みが突然変化し、いつもながらの「山に呼ばれる感じ」に 熊山探訪の重みがひしひしと伝わって来ました。 熊山駅を下り、偶然知り合った不思議な人物に案内されながら 熊山の目には見えない神域の門を潜ると、強烈な霊気が全身を包み込み、 思わず案内人に「凄い所ですね」と言わざるを得ませんでした。

熊山が単なる石積みの遺跡の名所ではなく、古い時代にこの地域全体の 精神的支柱であった…ことを直感的に認識しました。 そして驚くべきことに、今日までその威厳が圧倒的な迫力で くるものに覆い被さります。熊山全域は日本人として守り続けたいところです。 不思議と出会いと、光の威厳が満ちていた熊山をご案内しましょう。

1996 泰山記

2010 高精細画像に置換え+補足



JR山陽線の熊山駅。 鈍行列車しか止まらない田舎の小さな駅だ。 後方の山域の最奥に熊山遺跡がある。



熊山遺跡まで駅から徒歩だと2時間はかかる。 当日時間がなく、タクシーで行ける所まで行ってみた。 現在は頂上の真近まで自動車道がある。 地元では熊山全体が散策コースになっている。 中腹の駐車場にあった登山道入り口の案内板。 これを見て熊山遺跡が実は熊山全域の 中心存在であることを知った。



国指定の熊山石積遺構についての看板。 ここに至るまで30分の徒歩。 参道の途中に巨大な杉を見た。 山中に続く獣道の方がむしろ 古代には正式な参拝路であったように思う。



案内板説明書きの拡大写真。



これが熊山遺跡の全容である。 遺跡の周囲はきれいに掃き清められ 雰囲気は神社の境内そのものだ。 ちゃんと管理人も居る。 この佇まいを見た瞬間全身が総毛立つ感じがした。



別名、階段状ピラミッドのゆえんである。 岩盤を含めた基底部の基段の上に3段の石積がなされている。 大きさは基底部が10m四方、高さ3m位。 2段目には龕(がん)と呼ばれる凹穴が4つある。 最上段には縦穴があり、ここに陶器や巻き物が 納められていたという。



基底部分の石積み。 この部分を入れれば厳密には4段構造である。



熊山遺跡の裏側。 遺跡の材質は流紋岩で現地で採石されたらしい。 熊山遺跡の石積みは間違いなく人工であるが、 私が着目したのは、遺跡の下にある巨大岩盤だ。 熊山遺跡は巨大岩盤=古代の磐座の頂点部分を そのまま活かして創られたものと見受けられる。 このようにして保存されたことに感謝したい。
本源的にはこの写真にある岩盤が重要だ。 熊山全体の山容は確認していないが、その霊威 この磐座からしてこの地方のピラミッドであった のではなかろうか。ピラミッドとは天の御柱弥廣殿 すなわち、光満ち溢れる太陽神殿である。



巨大岩盤の磐座を横から見たところ。 この磐座の上に後世に階段状構造を 構築したと考えられる。 尚、地元では階段状の熊山遺跡本体は 奈良時代前期としているようだ。



前述のようにピラミッドとは太古日本の「ひらみつと」の転化と考えられる。 ひらみつととは光が満ち溢れるオオヤシロのことだ。 古事記の中で出てくる天の御柱弥廣殿もひらみつとと考えられる。
熊山遺跡を参拝して私にはその意味が実感としてよく分かった。 探訪の前日まで大雨にみまわれた熊山遺跡が、私の目の前で輝いている、 丁度頭の真上に来ていた太陽の直下の光を浴びて、遺跡も森も大地も光り輝いていた。 この感触は写真では少ししか伝わらない。むしろ右のイメージの方が正確に描写している。



ピラミッド最上段の縦穴部から発掘された奈良時代のものとされる陶製筒型容器。これは明らかに男根を示している。 通常は非公開らしい。当日は運よく展示館が開いており、撮影することができた。



熊山における発掘調査の様子を写した写真。展示館に掲示されていたもの。



案内してくれた不思議な人物、嘉数氏。 タクシードライバーの嘉数氏は 自分を猿田彦の末裔だと言っていた。 写真は猿田彦神社。熊山境内にある。 この人が不思議な話をたくさん教えてくれた。 内容は濃くなるので別の機会にするが、 彼は幼い頃死にそうになり、そのとき 霊夢で熊山からまっすぐ伸びてきた光の束に 命を救われたそうだ。 それから、古代語か宇宙語を小鳥のように 突然しゃべりだした参拝者の話しもしていた。 熊山、それは何回もいきたいところ…。



熊山遺跡の参道途中にある熊山神社の鳥居。 木づくりながらなかなか風情のあるいいものである。 こんな山奥の神社に参拝したのか スーツにネクタイ姿の3人の紳士が下ってきた。 人の動きで結構いろいろなことが察せられるのである。



熊山神社本殿。昔は熊山権現社であったそうだ。 今でも神社としての品格は非常に高い。 春には大祭が執り行なわれる。 あまりの格式の高さに膝まづいて参拝する人もいるそうだ。 案内してくれた嘉数氏も膝まづいて拝んでいた。 この熊山神社の凄いところは、周囲に摂社を8基位配置し、 しかもそれらの摂社の祭神がただならぬ大物であるのだ。 また、本殿のぐるりを土塀で囲んだ様式ははじめてみるものだ。 熊山の熊(クマ)は言うまでもなく、97年度のキーワード2 である熊野に関連している…と見なせる。



児島三郎高徳挙兵の跡。 足利尊氏と対抗すべく新田軍と謀り 児島高徳が挙兵したときに腰をかけた岩。 この話は1336年であるのでつい最近の話だ。 問題は腰をかけたこの岩である。 この巨岩は先述の熊山神社の境内にある。 この岩のほかにも夥しい岩のかけらが境内にあった。 山の配置からして私にはここが拝殿山で 熊山遺跡があるところが本殿山に思えた。 いずれにせよ拝殿山としての熊山神社域も 巨石とエネルギー溢れる素晴らしいところである。



本殿右側に2基の摂社が見える。 これと同様な摂社が本殿の後ろと左にもある。 興味深いのは摂社が円形に配備されていることだ。 これは頗る珍しい。



吉井川を挟んで熊山の対岸にある石生地域。 石が生まれると書いて、「いわぶ」と読む。 姫路の生石(おおしこ)も珍しいが、 石生(いわぶ)も負けず劣らず珍しい。 しかも近隣にこうした名称があることが興味深い。 案内人の嘉数氏が石生の山を見ながら 「本当に石がうまれるんですよ」と意味ありげに言っていた。 小さい頃には近づけなかったとも言っていた。 2007年4月;地元の方のご指摘に基づき…「いしぶ」を「いわぶ」に訂正します。
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瀬戸内、吉備周辺を訪れる際には石の宝殿、白石島、そして この聖なる熊山に是非参拝して頂きたいものである。…泰山。


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