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石巻山(いしまきさん) 愛知県豊橋市石巻町字南山 358m
石巻山
Ishimaki-san ; Aichi
E-mail to Taizan ; taizan@gainendesign.com
『泰山の古代遺跡探訪記』Topページ
泰山の古代遺跡探訪記
Presented by…
Gainendesign-Labo.
東海道新幹線を京都・名古屋方面に向かうとき、浜名湖あたりを過ぎてから愛知県に入ると右側(線路の北側)の山波が突然峨峨(がが)としてくる。
そして豊橋付近に来るとその山波の中に目立つ山が現れる。それが石巻山である。
石巻山は全山が石灰岩質という特異な山であり、また近年ピラミッド山説も出てきているので、じっくりと見てきた。
石灰岩質といえば、思い出すのが鞍馬山の奥の院、魔王堂の下に広がる石灰岩魁である。はたして同じような感触があるのかどうか…興味は尽きない。
日本列島には花崗岩が非常に豊富に存在するので、ピラミッド山の構成の中に多分に花崗岩が含まれる。あるいは堆積岩の山の頂上に花崗岩の磐座があることもある。
ゆえに、全山石灰岩のピラミッド型の山はユニークなのだ。
岐阜城のある山;金華山は堆積岩のチャートが褶曲して形成されたピラミッド型山であるし、渥美半島の
雨乞山などもチャートの山であるので、堆積岩のピラミッド山構造もあり得ると考えているが、とにかく石灰岩質のピラミッド型山は初めてなので、心が躍る。
前日までは台風並みの暴風雨で石巻山周辺は土砂降りだったそうだ。そんなことも知らず翌日向った時には快晴に恵まれた。石巻山では思うところがたくさんあった。
参考資料;『ピラミッド山の具象構造と概念構造』
探訪;2007年7〜9月 記;2008年1月 泰山
写真001
石巻神社山上社の参道入り口にある鳥居。
写真002
石巻山観光案内板。山上社の第二鳥居の手前から石巻山登山道が始まる。登山道入り口付近には「石巻自然科学資料館」がある。
写真003
石巻神社の山上社。境内には一面に細かく砕かれた石灰岩が広がっていた。
写真004
拝殿の内部。大己貴命(オオナムチノミコト)を祀る。
写真005
登山道入り口を過ぎるとすぐに木製の階段が現れる。ここから20分程度の登山になる。
写真006
登山道を数分歩くと、小さな赤い社がある。その手前の樹木の生え方は異様であった。
写真007
登山道途中で見ることができる石灰岩の岩魁。いつも見慣れた花崗岩とは違う表情だ。
写真008
同じく。
写真009
このしろ池。巨大な岩魁の下方に陰の空間と水場がある。奥の院として不動尊を祀っている。水が美味であった。
写真010
このしろ池の傍らにある特徴ある巨石。手水鉢のようになっている。巨石の上方が蕾のようなカタチをしていて、
ちょうどそこが水受けのようになっている。人工加工痕跡は確認できなかったが、「雨乞い用の儀式」に使われていた
可能性もある。
写真011
「蛇穴」と呼ばれる洞窟。
写真012
「蛇穴」の中をフラッシュ撮影。巨石の組み合わせというよりも、水の流れによって石灰岩が溶かされて
できたと思われる。この洞窟は石巻山の内部を貫通して、水はどこかに流れ出ているだろう。この白池の水源にも
なっているかもしれない。
写真013
山中にある杉の巨木。
写真014
石巻山は巨人であるダイダラボッチの伝説がある。これはダイダラボッチの足跡と称される岩。ちょうど凹みが
大きな足跡のように見えることからそう名付けられたようだ。実際には山頂部から流れてきた雨がこの岩を長い年月の間に
穿って、こうした凹部ができたものと考えられる。
先述のように私が登山したその前日、石巻山は暴風雨に見舞われたとのことで、山頂近くなればなるほど水が流れた跡が
はっきりとわかった。
写真015
ダイダラボッチ岩のすぐ傍には、甌穴のある巨石もある。
写真016
登山道途中の石灰岩の巨石。
写真017
同じく、登山道途中の石灰岩の巨石。
写真018
右が「大天狗」、左が「少天狗」と命名された石灰岩の巨石。
写真019
石巻山頂間近になると山頂へ登る左側の道と、この岩に向かう(やや分かりにくい)右の細道が現れる。
右の道を進むと”雄岩(おいわ)”と称される断崖のほぼ真後ろ(北側)にこの巨大岩魁が出現する。高さは15m以上はある。
写真020
その巨大岩魁の左側を行くと岩の切れ目が現れてくる。その先は断崖絶壁である。石巻山の頂上付近はこうした巨大な石灰岩の岩魁が
3つ連なっている。この岩魁の右側を行くとおそらく”弘法窟”と呼ばれる陰の空間に行けるはずなのだが、今回はその道がわからず
断念した。石巻山がピラミッド山であるとすると、”弘法窟”が『天岩戸』構造に相当するのではないかと考えている。この陰の空間は
石巻山の中でも特に重要であるだろう。
写真021
石巻山の山頂部は南から見て、左側から「雄岩」、「天狗岩」、「雌岩」の三つの巨大岩魁からなる断崖によって構成されているが、
ここは雄岩と天狗岩との中間部。岩魁の上方を撮影したもの。
写真022
同じく、岩魁の根元部分。
写真023
意識的にこの細い道を行かないと辿り着かないだろう。道が分かりにくい。
写真024
「蛇穴」と同じような洞窟部分。花崗岩の山なので、こうした空洞はできやすいものと考えられる。
写真025
石巻山頂上の巨石群。磐座というよりも石灰岩の巨大岩魁の先端部といった方が正しいだろう。
頂上の巨石群に特段の加工痕跡は今回は見いだせなかった。ただし巨石の存在感やたたずまいは素晴らしかった。
巨石の表情は、京都の鞍馬山、魔王堂の石灰岩にやはりよく似ていた。
写真026
頂上部分はそれほど広くはない。そこにいくつもの岩魁がある。
石巻山の頂上での不思議は、渥美半島の雨乞山とおなじように、一羽のアカタテハとおぼしき美しい蝶が、快晴の青空を
舞っていたことである。
写真027
石巻山の山頂からは、雄大な三河平野が眺められる。豊川市の市街地と遠方には本宮山が見える。
写真028
北方のピラミッド山である本宮山山頂と石巻山を結ぶラインの上、中間地点に重要な『照山』がある。写真中央の白い部分が照山。
石灰岩でできたピラミッド山と思しき秀麗な照山の現況は無残である。写真で分かるように照山のすぐ下には
岩石採取工場があり、照山の半分近くが削り落されている。照山に関してはまた、別項で解説するが、なんとも
痛ましい光景である。
写真029
山頂への最後のアプローチは、鎖と鉄階段を使うことになる。…といっても難路ではない。
写真030
下山途中、板状の石灰岩に日が射し、真っ白く反射していたのが印象的であった。
石巻山は形態的には明らかに秀麗なピラミッド型であるし、水の流れや”陰の空間”もある。また、とくに本宮山や照山との関係も
深いことが実感できるので、ピラミッド山(構造体)であるといえると思う。
率直な感想を言えば、ピラミッド山と言ってもいくつかの機能分類があるのではないのか…ということを強く感じた。
奈良県桜井市の三輪山山頂の奥津磐座群には人工加工痕跡が強く残されているし、実際に三輪山にはニギハヤヒ大王が眠っているという感じを
持つのだが、石巻山にはそうした神霊的な感触はあまりなかったことも事実である。
岐阜城のある金崋山が堆積岩のチャートでできたピラミッド山であるとすると、石巻山は全山石灰岩という特殊な材質によるピラミッド山であり、
何かそこに機能的な特殊性があるような気がする。
石巻山のような…こういうピラミッド山もあるのだな…と実感を持ったことが大きな収穫であった。石巻山が三河のピラミッド大構造体の中で
一体「何を主にコントロールしているのか」…それを探究することが今後の課題。
今回残念がら到達できなかった最高の”陰の空間”である「弘法窟」…ここが極めて重要なのではないかという気がする。本当に弘法大師も
入ったかも知れないその洞窟に入って瞑想すれば、きっとまた新しい何かが掴めるだろう。
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