ゼネコンの大林組が試算した興味深い結果がある。昭和53年時点(22年前)での、ギゼのクフ王の
ピラミッドの建設を受注した場合の見積もりである。
大型ヘリ、クレーン、トラックを駆使して順調に巨石群を運搬し設置したときの概算で、当時の金額で1250億円、工期5年とある。玄室の精緻な花崗岩の加工や、王妃の間の詳密な設計や、通気孔(現在では建設当時の星座の位置を示す孔であるとの説が有力)の
精密な配置などに要するデザイン・設計の期間、費用には言及していない。いずれにしても現代のゼネコンは147mの巨石積み上げ式四角錐は作れると言っている。
ギゼのピラミッドのひとつひとつの加工巨石の大きさが平均一辺2mの立方体として、石灰岩の比重を3とおくと、一個あたり24トン(乗用車約16台分)にもなる。
通説ではクフ王のピラミッドを構成するサイコロ状の巨石の平均重量は2トン〜3トンとされているが、これを230万個積むわけだ。
現代の巨大クレーンの能力は200トン程度ならば楽に持ち上げることができるし、大型ヘリにしても大型トレーラーにしても24トンは物理的には不可能な数値ではない。
但し、因みに昼夜兼行でまったく休みなく、しかもずべてが順調に行ったとして、230万個を5年間で積み上げるには、1分に一個の割合で正確に積み上げる必要がある。
結論から言えば、例え1兆円の予算があっても、5年間で現代工法でグレートピラミッドを正確に再現することは不可能なのではないか…と思うのは筆者だけではあるまい。
翻って考えるに、一応歴史上古代エジプトにおいて建造されたと言われているギゼのピラミッドであるが、たった数千年前の歴史の記述に、あるいは古代エジプトの遺物の中に
大林組が試算の前提とした現代工法をまかなえるだけの技術や機材は一切見られない。20年・30万人をかけてマンパワーで建造したのだという説も、巨石に木製の轍をつけて
転がして運搬したという説も、一仮説の域を出ていないし、大林の試算よりももっと感覚的に納得しがたいのである。
ギゼのピラミッドを始め、日本各地のピラミッドやそれに付帯している巨石に関して、どうしても解決され得ない未知なる謎がある。それが巨石運搬技術なのである。
われわれ現代人の価値観や技術的な感覚では、どうしてもわれわれの知りうる、われわれの日常的に納得しうる論拠によって、ある意味で「強引に、そう納得」しようとする。
ゼネコンが試算した論拠もまさに、こうした論理展開の延長線上にある。それを非難するつもりはさらさらないが、われわれの日常的な推論による閉じ込められた論理展開に
対して、逆になんとなく「眉につばをしたくなる」ようないらだちと、懐疑心が沸き起こる。若干エンジニアとしての勉強と経験を積んだ者には特に、こうした
理論展開に対する「直観的な」不信感が感じられることと思われる。そういう意味で、ギゼのピラミッドも含め、巨石文化の根底に存在する、「巨石の重力的ハンドリング」という事象は
いまだ、未知であり同時に、それゆえに魅力でもある。
2000年になって発見された斎明天皇の遺構といわれる亀型石はその歴史的、文化的価値は疑うべくもないが、たった千数百年前の明らかな歴史遺構でもある。そして同じ飛鳥に、
いまだ得体の知れない「益田の岩船」が存在し、蛙のような顔をした、有名な亀石もある。「鬼の雪隠」のレーザー光線で加工したような美しい面は、「酒船石」の加工面とは
違うような気もする。そして本来は小山の中に埋もれていた「石舞台」の各巨石には美しい加工平面は見当たらない。「酒船石」は明らかに巨大石版が割られたものだが、
本当の姿の原型酒船石の巨大重量を、あの小山にどのように運びあげたのかは不明のままである。ましてや大神神社の御神体である三輪山の「奥津磐座」の球体巨石群は
なぜそこにあるのか、どうやって500m級の山の山頂に運びあげたのか。…巨石文化を混乱せしめている大きな原因は、時代の「複相性」にある。要するに、百年前も、千年前も、
数千年前も、そして数万年前も、巨石という動かしがたい存在を軸として、「同時にそこに存在してしまっている」からなのだ。
長野県諏訪にある「万治石」は後世に乗っけられたと考えられる、その独特の風貌をしたモアイ像のような顔によって、「万治石」として有名になり、土台の古い巨石の
存在は忘れ去られている。同様に、超古代の遺物と思われる巨石に後世(数百年前)人手によって「彫刻・加工・石仏化」された巨石は多い。それはつまり、同一の巨石の
中に、超古代も、古代も、近代も、そしてうっかりすると現代をも含んでしまっていることになる。
筆者のホームページでも幾度となく言及しているが、神社の御神体や裏山の神体山山中には夥しい「磐座」が存在する。神社があるから、磐座があるという説も、必要条件
としては受け入れられる。つまり神社があるところには巨石が多いのであると。しかし、十分条件として、神社があるゆえにそこに巨石があるという視点は、上記の文化の
複相性によって、そのまま受け入れることは難しくなる。要するに、神社、あるいはその原型である磐座信仰の、さらにそのまた原点に超古代の巨石がそこに存在していた
と考えるのがよいのではないだろうか。ただし、言うまでもなく、神社用に改めて小型の巨石を磐座として運び入れたこともあったであろうと予測できる。
ことほどさように、巨石の存在に関しては文化の複相性と同時に、存在時間の複相性も重なって、極めて「混乱を生じさせ」ていると言える。
さて、本題の巨石運搬についてであるが、ギゼのピラミッドの巨石もさることながら、筆者の関心の矛先は、やはり日本ピラミッドに付帯する巨石群の運搬技術なのである。
ギゼのピラミッドはエジプトの平坦な台地上にあるが、日本ピラミッドの殆どは深い山中に存在し、現在ではそこに至るには多くが、獣道に近い徒歩道となっている。
筆者の言及している巨石群の中には、岩石山の一部や、自然石も含まれるが、ここでいう運搬技術に関わる巨石群は明らかに、何らかの人為的な(現在の人類とは限定しないが)
操作によって、そこに「運ばれた」、あるいはそのように「積まれた」と、素直に考えられる対象で、たとえば、広島県
宮島の弥山山上の巨石の列石、岡山県鬼ノ城裏手にある、「鬼の差し上げ岩」や、岩手県遠野の「続石」を指している。言うまでもなく、これらの人為的な運搬とおぼしき巨石の重さは、ゆうに数十トンはあると
考えられる。しかも、これらの巨石は単独ではなく複数重なり合って、しかも奥深い、あるいは標高の高い山中に存在している。
巨石の運搬とは、すなわち重力のハンドリング(=制御)に他ならない。大林組が試算した論拠となっているのは、巨石の地球上における重量を、地表面への反作用としての
力によっていかに克服していくのかという問題である。ここで重要なのは、地球の引力によって発生する巨石の重量(地球中心へ向かう重力)に対して、地表からの反作用
(=直接的な重力とは反対の力)によって、”巨石を浮遊させる”技術であるということだ。この力関係には重要な3つの要素がある。ひとつは巨石というハンドリング対象、
2番目が地球の重力という力が発生する”場”、3番目が反作用を生み出す、地表という”媒体”である。現代のわれわれの地球上における最もわかりやすく、使いやすい
重力ハンドリングの方式が、地表を直接媒体として反作用を生み出す方式で、そのひとつの解決策がクレーンによる「吊り上げ」である。古代の技術の類推のしやすさで言えば
人力による運搬となる。この場合、力の源泉は人間の筋肉であり、それは食物からのエネルギーによって発生しうる。クレーンの場合は、エネルギー源がガソリンなどの燃料であり、
力の源泉は爆発圧力かモーターの回転力となる。
上記の「場」「媒体」「対象」を広い視点で考えるならば、必ずしも「地球重力場」「地表」「巨石に発生する反作用」と限定する必要はない。因みに、大型ヘリの場合は
直接媒体が「空気」となり間接的に、地表に力を伝えるということになる。さて、地球がその中心核に直径1cmの地表物質しか持っていなく、その周囲に超巨大なガスを
有しているとすると、基本的に、巨石という対象の重力ハンドリングは空気という媒体に対して行われることになる。
直接的な媒体を地表、間接媒体を空気というように、非常に慣れ親しんだ対象に向けるだけではなく、その本質に凝集していくと、上記の関係は「影響を及ぼす力の発生源」
「媒体」「対象から発生させる逆方向の力」ということに概念化されうる。この概念構造において重要なことは、空気や地表など直接的に感知できるわかりやすい媒体でなくとも
存在すると仮定できる媒体であれば、基本的に反作用は生み出しうるということである。また、影響を受ける力の根源が認識できれば、その媒体を通じて同様の力を逆方向に
生み出し反作用を生み出しうるということである。すなわち、存在の認識と、本質の把握ができれば、それをハンドリングできるということである。
重力という根源と巨石という対象はそのままおいておくとして、媒体の存在認識を変化させれば、別の方式による対象物のハンドリングは可能であるということになる。
媒体の存在認識として重要なものは、「地表のような直接的な物体」、「空気のようなガス状の中間物質」そして「宇宙場そのもの」である。重力は本質的には「宇宙場」を
媒体とした「重力波の影響」であって、地球のような球体の物質の中心から発生する重力波による重力は、たまたま地表という物体に対する反作用の力でもって
相殺できるということと考えれば良いだろう。結論を言えば、巨石の運搬、すなわち巨石の重力ハンドリングにあたって、テクノロジーの概念としては、その媒体として
「地表」も「空気」も、そして「宇宙場」も活用しうるということになる。たまたま現在のわれわれには「地表」と「空気の一部」しか媒体として活用するテクノロジー
が発達していないというだけである。(宇宙空間を航行するロケットはべつにして…)
筆者がここ数年、巨石の運搬に関して最も琴線に触れた記述は、修験道の開祖;役小角(えんのおづぬ、えんのぎょうじゃ)が「呪文によって、いくつもの巨石を空中に舞わせた」
というものだ。このことが非常に気になっていた。そうこうするうちに、最近また同じような記述を見た。それは高橋克彦氏とゲリー・ボーネル氏の対談集「光の記憶」という本の中で
ギゼのピラミッドを「トト」が作ったというくだりの中で、「トトは巨石に振動を与え、空中に浮かばせた」とあるのだ。
これらのテクノロジーはまさに上記のテクノロジー概念を展開する上で、いまだ人類が未開発の部分であり、媒体としての空気の新しい活用法に他ならない。
すなわち、具体的な方法論はいまだ未開拓として、おそらく高周波の音波を巨石に発生させ、同時に媒体としての空気にも同様の音波を発信し、その相互作用において、
重力に打ち勝つだけの反作用を媒体としての空気から直接巨石にもらうということである。ある意味では、鳥の羽ばたきや飛行機の揚力なども媒体としての空気への波動付与
と考えられるのかもしれない。因みにマグネットは「宇宙場」の中で、局所的に重力に打ち勝つ「電磁力」を受けることができる。
空気を媒体とした重力制御方式では、おそらく上下方向のみならず前後左右方向への制御も楽にできるであろう。また空気があればどこででもそのテクノロジーは有効であろう。
したがってトトが短時間の内に独りでピラミッドを建造した…というのもあながち軽んじることはできない。否、むしろ大林組の試算よりも、少なくとも筆者には説得力がある。
根源的な力の発生源としての「重力波」が発見され、解明され、かつ媒体としての「宇宙場」の全容が明らかになれば、さらに進化した方法として、重力波制御方式による
「反重力式巨石運搬技術」が獲得できるに違いない。果たして超古代に「反重力方式巨石運搬技術」が獲得で来ていたのかどうかは定かではないが、少なくとも媒体としての
空気の進化した活用テクノロジーは生まれていても不思議ではない。むしろ、地球上のように空気や水に満たされている天体上では、「安上がりに」高周波付与方式を
とったのかもしれない。それは空気や水という流体は非常に慣れ親しんだものであり、同時に音波は声によって容易に発生可能だからでもある。
いずれにしても、巨石文化を考察するにあたって、巨石運搬技術の深い研究は不可欠なのだ。それはテクノロジー問題が、ミステリーとロマンに置き換えられてしまう可能性が
あるからである。日本ピラミッドにしても付帯する巨石群にしても巨石運搬技術は重要な鍵である。それが解明されることによって、複相的に混乱した巨石文化の探究は
勢いづくであろう。また同時にそのテクノロジーは21世紀におけるわれわれの「今の生活」に大いなる影響を及ぼすものと考えられる。
役小角の「巨石空中乱舞」にしても、トトの「ピラミッドデザイン」にしても、概念構造的には十分理解・認識可能なストーリーなのである。
泰山 著